お勧めしていただいた本の一節。
「傷つかないように生きようとすると、傷つけるものを探してしまう。
楽しむために生きようとすると、楽しいものを探す。」
重ーく受け止める一節です。
1度読んだ本ではありましたが、自分が色々と考え悩んでいる時にパッと開いたら、今の自分に必要な言葉が入ってきました。
過去の経験から、なかなか人の思いは殻に閉じこもりがちですよね。
とくに、悲しい・寂しい・辛い・悔しい・恐怖というようなネガティブな感情においては、そうなりがちと思います。
本ではこう続いてます。
「いつも傷つかないように、その人の悪いところばっかり探してた。
『この人は、こういう人だから気を付けよう。』って。
でもそうしているせいで楽しいものが見えにくくなっていたんだ。」
人が悩むことの殆んどが、人間関係。
親との関係。子との関係。
恋人との関係。
友人との関係。
職場の上司、同僚、部下との関係。
どんな関係も一度辛いことを経験してしまうと、警戒して人と接触してしまうことってあります。
傷が深ければ深いほど、人の良いところよりも、悪いところを見てしまう。
そして、自分が上手くいっていないことや不幸になるのも、人のせいにしがちです。
思いの囚われは、抜け出したくてもなかなか抜け出すことが出来ません。
その思いの囚われが、自分を不幸にしているという事に気付いていない人も沢山いらっしゃいます。
でも、それをずっと続けていくと人の良いところより悪いところをみてしまうために、人との関係もずっと歪んだものになってしまいます。良い人間関係が築けず、負のスパイラルになっていきます。
こころが傷つかないように生きているようで、殻に閉じこもった全く楽しくない人生ですね。
喜びがない人生なんて、心が疲弊していきます。
そして、思いの囚われは、心の疲弊だけでなく、身体をも疲弊させていきます。
こころの働きは五臓と深く関わっていることがわかっています。
五臓と感情は、
肝ー怒り
心ー喜び
脾ー思い悩む
肺ー憂い・悲しみ
腎ー恐れる
また五臓と精神活動もそれぞれに宿ります。
肝ー魂
心ー神
脾ー意
肺ー魄
腎ー志
意と志はより良く生きていくために、「ああしよう。」「こうしよう。」と考え、方向性を持って生きていこうとする意識的なものです。
魂と魄は人間の本能・本性的な部分です。個性や経験がいつの間にかその人の行動や思考を作るのもこの働きで、無意識に行っている領域です。
神(しん)は心に宿りますが、神は生命力・生命の根源。これが無くなると生きるという根本的な人間の力が無くなってしまいます。精神活動を統括してくれているところでもあります。心の五臓は感情でいうと喜びなのは、人が生きていく上での原動力となるからではないでしょうか。
身体は意識的なものから、認識から無意識に落とし込んだものまで、五臓と関わり、過ぎれば病を引き起こしていまうのもなのです。
だから、思いの囚われから出れず、病気を引き起こしていたら、それは自分の感情が作り出した病なのです。いつまでもそこに執着してしまっている自分が自分の身体を蝕んで病気を作り出しているのです。
そこから抜け出すには、自分がどんな人生を歩みたいかという事を考えなくてはいけないんですね。
恨み、辛み、妬み、恐怖を持って、いつも警戒して生きていくより、自分が楽しく感じたり、喜びを得られることを探して生きていく方がずっと素晴らしい人生ということに気付けば、思いの囚われから抜けられるようになります。
それでも、思いの囚われから人の心は抜け出すのは難しいことですが、意識的に楽しいことはなんだろう、自分が幸せと思えることって何だろうと常々考え行動していく内に、徐々に意識から、無意識に落とし込まれ、神の宿る心の生きる原動力となる「喜び」へと繋がっていきます。
物の見方を変えてみるという、「気づき」になれば幸いです!!
この本は「春明 力」さんという方が書いている
『話すことが怖い。でも一人にはなりたくないんだ』
というタイトルの本です!!
素敵な言葉が沢山書かれているので、興味がありましたら読んでみてください!!