鍼灸学校に入って、東洋医学概論を勉強する。
最初に出てくるのが、
東洋医学の思想哲学として、
「陰陽論」が出てくる。
「陰陽論」とは、
この世の万物、森羅万象、自然・社会・人間などすべてにおいて、「陰」と「陽」に分けることが出来る。
という哲学。
下の図のように、
様々な事柄が「陰」と「陽」に分けることが出来る。
これを知った時、
「なるほど~」
と、えらく感激した覚えがある。
それは、
「陰陽論」のように物事を二極化させて考えたことがない私からすると、
新たなる境地でもあったのです。
その時の私は、
「無知」であり、
知っている人、あるいは考えたことがある人からすれば、アホである。
しかし、
その時からすると、
今の自分は「陰陽」のことは知っている。
知らない人、考えたことがない人からすると私は「知識人」なのである。
このお話、もう気付いたでしょうか。
もう既に、「無知」か「知識人」かで、
二極化される。
でも初学者であったあの時の私と、
「陰陽論」を学んだ今の私は、
同じ私でありながら、違う二極へと移行している。
「無知」があるから、
対極する「知識人」がある。
相対する存在があるから、
「陰陽論」は存在する。
しかし、「無知」から「知識人」なった私のように、
陰陽は完全に別物ではなく、
「陰」から「陽」、
「陽」から「陰」へと変化することが出来る。
はたまた、ある分野には「無知」かもしれないが、
ある分野においては、豊富な知識を持っていることもある。
このように、「陰」でありながら「陽」の、「陽」でありながら「陰」の要素も持っている。
「知識人」であっても、
その分量・理解度で、
二極化される。
相対する存在が何であるかで、
また「陰」から「陽」、「陽」から「陰」と存在が変わってくる。
「陰陽論」というのは、
そのように完全に分かれた存在であるという考えではないのです。
誰と比較して、
自分が、
劣ってる・勝ってる、
美人・ブス、
頭がいい・頭が悪い、
足が長い・短い、
痩せてる・太っている、
積極的・消極的、
健康的・不健康、
あの人からすると、自分はこうだけど、
あの人だと自分はこうだ、
とどちらにも寄れることが出来る。
見方を変えると、
自分という存在がどっちにも振れることが出来る。
そのことを知ると、
「陰陽論」のように、
相対する存在のお蔭で、
自分と言う人間を変化することも、
比較することも、
評価することも出来る。
自分を低評価する人は多いですが、
質や量、分野を増やしたり減らしたりすることで、
低から高に、
劣から優に、
下から上に、
移行することが出来る。
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